ストップ!お米屋さん!
岩ちゃんの上半身はすごい。俺のが背も高ければ肩幅もあるのだが、ぱっと見「ごつい」とか「でかい」とか「厚い」とかいう印象で上回るのは岩ちゃんのほうで、なんでかというとそれはひとえにむっきむきの大胸筋が魅せるわざ、なのだと思う。
今日もいいおっぱいしてんねー、と思いながら着替えている岩ちゃんを何気なく観察していると、
「うわ」
「なんだよ」
視線をうっとおしく感じていたのだろう、眉間に皺を刻みながらすぐに反応されてしまった。
「腹筋割れてるじゃん」
目を見開いた俺がびっくりして言うのに、岩ちゃんの眉間から皺が消えた。
「おお、まあな」
とくいげである。
「えーいつのまに?」
「いつの間にかだよ」
「いいなー6個にすんの」
と、その腹筋へ手を伸ばす。
「さわんな」
とは言いながら、岩ちゃんもこっちのシャツをべろんとまくって見てくる。だけでなく、触ってもきた。
「割れてねえ?」
べたべたと体育会系特有の馴れ馴れしさで、岩ちゃんの掌が俺の腹を這う。とはいえ、むろん、ここまで遠慮のない相手というのは、お互いにあまりいない。幼馴染の絆は強い。周りに人がいたら、大体引かれるレベルなのは承知だ。今は部室に二人だけなので、気を遣う用もなく、したいようにじゃれる。
「6個にしたいじゃん。でもメニュー変えるのやだしなあ」
「別に無理することねえだろ」
岩ちゃんは、俺の無理に関して、厳しい。ぺちんと叩いて離れていった。
「まあね」
シックスパックに憧憬はあれど、追い求めるよな気概はないし。岩ちゃんのこれだって、これが目的でそうなったんじゃなくて結果でしょう。
岩ちゃんの筋トレは、じつにねちねちしている。
指摘したことはないけれど、多分この人は隠れのMだ。
「数えたげるわ」
着替えたTシャツの上から制服の開襟を羽織りたての岩ちゃんを、背後から襲う。
裾から手を入れたら「おーい」と面倒くさそうなツッコミが入った。
「いっこ、にーこ、さんこー」
腹の筋を指でたどりながら数えると「くすぐってー!」と首を赤くしながらむずがった。肩に顎を乗っけてやって、押さえつけながら継続する。岩ちゃんを構う隙なら、一つたりとも逃さない俺だよ。
「よんこ、ごこー」
造った身体を褒められるのは野郎なら誰だって嬉しいから、機嫌上向きの岩ちゃん、今に限ってはマジギレはない。
うぜえって、と罵りながらも、振り払いたいような素振りでもぞもぞしながらも、両手はこれから鞄に仕舞うジャージを畳むのに使っていて、俺を好きにさせている。
そもそも岩ちゃんは俺とべたべたするのがわりと好きだ。岩ちゃんのべたべたは、暴力と紙一重なわけだが。
「ろっこー。うおおお、なんだこれ!」
腹を撫で終った手で、貼りのあるがっつんがっつんの大胸筋を諸手に鷲掴む。
「か、かてえー!」
「オイいい加減セクハラで訴えるぞ」
「へへへ、いいのかい奥さん…こんな事が単身赴任の旦那にバレちまったらどうなるか…」
「やめて下さい、お米屋さん」
「いいじゃねえか、こんなでかい乳持て余して毎晩一人で大変だろうへへへ、手伝ってやるよおー!」
「や、やだー!!この米屋やだーーー!!」
岩ちゃんの悲鳴には、ちょっと本気が混じっていた。
「大声なんか出していいのかい奥さん、向こうで寝てる子供が起きちまうぜ!?」
「そこまでのゲスか!?」
「身体はいいって言ってるぜ身体はよお、まったくわがままなおっぱいだな!!」
「揉むなー!!」
わはははははいやああああー!と、暴れ方にもマジが入ってくる岩ちゃん。しかしほんとに立派な胸をお持ちだよ岩ちゃん。この大胸筋に秘められた脅威のエネルギーが、あの人が殺せそうなスパイクを生み出すのだ。俺の上げた球をどんな城砦も撃ち抜く弾丸に変える。
なので俺は、はっきり言って、どんなにまろやかでやわらかい乳房よりも、この君の鋼の大胸筋が愛しいよ。
「わかるかい奥さん」
「何がだ!?ちょっとお前まじでもう離れてくんねえうぜえ」
「へへへ感じてるくせによ」
「ケーサツ呼ぶぞ米屋アアア!」
誓って言うが、わざとではなかった。がなる岩ちゃんの横顔が、ちょっとふくれていて赤くなっていたので、あっ、かわいーねーと思ったら、乳首を押していたのだ。わざとではない。手が勝手に動いた。岩ちゃんは、びっくーん、と硬直した。
ご、ごめん。
そしてこれもわざとではないが、その反応にびっくりして、なんでだかわからないが頭のどこかで「今だ!」という謎の号令がかかり、乳首をつまんでしまった。ふに、とちょっと潰れるくらいの柔らかさで。
奥さん。
ここが弱点ですか。
岩ちゃんが、今や完全に俺の腕の中にいる岩ちゃんが、ぎぎぎぎ、と錆付いたような動きで、首を後ろに巡らせる。多分、殺される。
しかし岩ちゃんは、確かに殺意を内に秘めまくっているはずの岩ちゃんは、俺の顔を見て再び硬直した。
すー、と、その顔から色がなくなっていく。
10年近くずっと一緒にいて、見たことのない顔だ。岩ちゃんも、したことのない顔だと思う。
いじくり倒された怒りではない。友のゲスを嘆く悲しみでもない。
恐怖だった。
岩ちゃんは、おびえていた。
俺の顔を見た瞬間に、だった。
頭から、すーっと血が降りていくのがわかる。
岩ちゃんの顔にはハッキリと『電車で痴漢に遭った話とか聞くたびになんで声を上げて助けを求めないんだろう?と思ってたけど、わかったわ、本気でこういう種類の衝動の対象として見られた恐怖に遭遇すると人間声とか出ねえし体も動かせねえわ。なんで抵抗しないんだろう?とか思ってごめんコレまじで無理だわ』と書いてあった。
「ご、ご、ご、ごめ」
謝ろうとして舌がもつれた拍子に、どうした作用でいつのまにそうなったのか、勃起した俺のスティック形状部分が岩ちゃんの尻に当たっていることに気が付いた。
「誤解だ!!誤解だよーーー!!!」
叫ぶ俺。シャツの裾を直しながら青い顔で距離を取る岩ちゃん。
「なんかこういう生理現象ってあるじゃんごごごご誤解なんだーーー!!!」
叫ぶ俺。光速で開襟シャツの前を止めてカーデを羽織り、鞄を引っ掴む岩ちゃん。
ケツをかばうためだろうか、後ろ向きにじりじりと部室の出入り口へにじりよっていく。表情は変わらずまっしろだ。
「話せばわかる、誤解なんですよおおおお!奥さああああああーーーーん!!!」
その後七日間ほど、岩ちゃんは俺と口をきいてくれなかった。
おしまい
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