シュガーレイズド
ガラス張りの壁から往来を望めるカウンターで、雲水はコーヒーを飲んでいた。
背後のテーブル席で、ふたりの女子大生が、男はバカだという話をしている。
「付き合い始めだからそうなんだって。そのうち逆にめんどくさがられるようになるんだよ」
「えーじゃあ早くそうなりたいかもほんと化粧がどうとか気にしてくんだよ?気がついてくれるのはいんだけどさ」
「それはちょっとねー」
「それはちょっとでしょお?あとねーバカの一つ覚えって言っちゃ悪いけどさー、なんか常にお菓子くれるのね」
「お菓子くれんの!?あーあるかもねー」
「そー、初めて家にくる時ってお土産持ってきたりするじゃん?」
「改まったかんじだね」
「なんか改まったかんじになったのね。それで、私もアレなんだけど大げさに喜んだの。コンビニのアレとかなんだけど。ケーキとかあんじゃん」
「あるね!あれ最近すごいよねコンビニ」
「あるっしょ?けっこう種類もあるっしょ。なんかショートケーキの二個入りとか持ってきてくれてー、わーうれしい~!ありがとう~!優しい~!とか言ったら次からそれ限定で毎回持ってくんのね」
「やばいww毎回wwwwwwwかわいいじゃんwwwwwwwwww」
「かわいいけど、ちょっとどうしようみたいにならない~?」
「なるねwwwwwwwあ~でも食べるしかないよね」
「一応食べてますけど~」
「お礼言ってる?」
「言ってるよお!うわーまたーとか思いながら、えーありがとーって言ってるよお!」
「えらいね~。あーうちはもうそんな甘酸っぱいのねーわごちそうさま」
雲水は、片手で顔を覆った。
兄がもじもじしている。
他人から見れば坊主が怖い顔をしているだけなのだろうが、阿含にはわかる。兄はもじもじしている。
「今日、なんか、どうしたの」
待ち合わせしていたカフェに迎えに行った時から、兄は少し様子が妙だった。
信号待ちの隙に左手を兄の膝へ伸ばして手を握る。
「うん」
と雲水は、助手席の窓から外を見たまま頷いた。
「おーい雲子ー」
「何だ」
「何緊張してんだっつってんの」
「してない。手、危ないぞ」
「まだだいじょぶだって」
「前見ろ」
「見てるよ」
繋いだ手を腿の上で揺らすと、溜息をつかれた。
「夜になったら話す」
兄はそう言った。
信号が変わる。
後の車がクラクションを鳴らした。
「おい、阿含、信号青」
「あ゛?あ、ああ」
慌てて発進する。どうしたんだ、と訝しがる兄に、その台詞はこっちが言いたい阿含だ。
夜ね。
どーしたの雲水。
宵の口から風呂場でいちゃついて、兄に夕飯を作らせて満悦至極の阿含は、今日の為に買ったローカウチに兄を座らせて、その膝を枕にテレビを点けた。
「ドラマ見ていー?」
「ああ」
「なあ、撫でてよ」
「ん」
兄も幸せそうである。与えられるものならば自分の体から血の一滴も残さず絞り取ってでも与えたい兄だ。笑ってくれるなら、しわしわの皮一枚になってもいい。
「なあ」
「んー」
「なんか、なかったっけ」
「なんだ」
「夜になったら言うって」
まったりするまで待っていた阿含である。
雲水は、困った顔をした。阿含からすれば、もじもじしているような、つっこまずにはいられない表情だ。
寝返りをうって顔を上に向け、目線を合わせて見つめると、雲水の眉は更に下がった。あのな、と語り始める。
「いきなりなんだが」
「うん」
「中学の時、一時期、お前家に帰ってくるたびに俺にコンビニのドーナツくれてただろう」
「………」
阿含は沈黙した。
「彼女にもらったけど食べないからとか言って」
彼女とは言っていない。間違っても、言っていないはずだ。
朝食にしようと思って購入したものの、食い忘れてぶらぶら実家まで持って帰ってしまったのだ。引っかけた女に買ってもらった服と一緒に持て余して、玄関で出くわした兄に食い物の方を差し出した。
「くれるのか。ありがとう」
と言って、数日ぶりに見る兄は笑った。「これ、俺好きだ」と言った。
だから阿含はその商品を見ると買わずにはいられなくなった。脳裏で兄の顔がほころぶ様が再生されるともう駄目だった。ほとんど手が勝手に商品を掴んで足が勝手にレジへ行っていた。兄は知らないだろうが、兄にやれた数の3倍は渡せずに捨てた。何かを絞り出すような気持ちで、買ったり、あげたり、捨てたりしていた。
「雲水が喜ぶ事なら、何でもしたかったんだよ」
告げると、頭上の兄は泣きそうな顔をした。
久しぶりに会った片割れが差し出してきたのは、透明のビニールに包装された菓子パンぽいドーナツだった。クリーム入り、の文字が馴染みのコンビニロゴと一緒にプリントされている。
ほい、やる、と気持ちや時間の溝のない声で言われて、嬉しくなった。礼を言いながら顔が笑っていく。これ好きだと言い訳をして、ありがたく食べた。暖かい記憶になっていつまでも残りそうだった。その後、たびたび、同じ菓子を弟からもらって、不思議な想いで受け取っていた。
「あれ、いらないからってお前が言うのを、俺はずっと信じてたぞ」
「そうか」
「わざわざ買ってたのか」
「あー、実は」
「ばかだな」
お前がくれるものなら何でも嬉しいのに。
怒ったような困ったような顔の兄が髪を引っ張るので、阿含はリモコンを手繰ってテレビを消した。
終わり
そう、あごんから与えられるものなら、痛みや苦しみでもよろこんでー!だよきっと雲水は!
ちょっとおかしいもん だいぶおかしいもん そんな兄が好き
タイトル、適当にイメージにあうドーナツの名前にしたけど、レイズドって「酵母で膨らむ」とかそういう意味あいだそうで・・・双子は色々発酵してる気もするので後付けだけどあんがいあってるかも?
ところでシュガーレイズドで検索しようとすると、シュガーレイレナードが出てきてものすごく謝りたい気持ちに。