必殺ビューティーアームブリーカー
また負けた。なんで勝てないのか。
女に。
「はい、終わりな」
肩関節を回しながら雌ゴリラが言う。お前が人間であるものか。
「ん?言いたいことあんなら言えよ」
その口調と視線がすうっと不穏になる。なんでもないよ。花巻は慌てて取り繕った。くそー。
「マッキー、岩ちゃんは北川第一の野獣って呼ばれてたから」
無理もないよ。と及川がフォローのつもりで余計な口を出す。次期主将からしてこれだ。
「何敗目だこれ」
「誰か数えてねえの」
「二桁いった?」
「二桁はいってる」
ギャラリーやかましいわ。
「29敗目だ…」
搾り出すように自己申告。
「数えてんのか」
雌ゴリラもとい北川第一の野獣もとい、女バレのほうの次期主将が呆れたように言う。3年は引退間近で、内々に役職だけ引継ぎ済みなのだ。
岩泉はA5サイズのでかいスケジュール帳を机に広げ、シャーペンの尻をかちかち鳴らし始めた。
「腕相撲はもういいよ。それで合宿の日取り、連休の頭と終わりとどっち取る」
「どうしてもじゃないけどどっちかっていうと15日がいいな」
「うちもどっちかならそっちがいいわ」
及川と岩泉の視線が合う。揃って手を振り上げる。
「せーの」
及川がパーでゴリラがグーだ。
「やった勝ったー」
はしゃぐ及川、歓声を上げ拍手する部員。
「ちっ」
岩泉の舌打ちが響く。刃が空を切る音に似ている。一同は静かになった。
「じゃー男子が先な。及川そこ座れ、これ書け合宿許可願」
「あー明日持って行」
「今書け」
「・・・・・・ん・・・」
及川は、おとなしく書いた。
及川と岩泉は幼馴染で、元は同じキッズチームでプレーしていたらしい。なんだかんだで異常に仲がよい。
それにつけても、男子の面目が。ことごとく。
「そういえば」
と、常に傍観している松川が口を開く。
「及川と岩泉が腕相撲したらどっちが勝つのかな」
及川の、書く手が止まった。
そして岩泉の元々良くもない人相が、更に禍々しくなる。
「さあな」
女子どころか人間の声からすらも遠い重低音だ。
できました、と書類を捧げる及川からひったくって、岩泉は足音をどしんどしん言わせつつ、男バレの部室から大股で出て行った。
「なにあれ」
「俺、岩ちゃんに腕相撲で勝ったことあんのよ」
まじで。部室にいた一動はざわめきたった。
「岩ちゃんくそまじめじゃん。それでいい勝負になってて集中してるって時に、耳にフーしたら一発だよ。それでその後、俺がどんな目にあったか、誰か聞きたい?」
挙手はゼロだった。
土曜練の午後、あまりの眠気に耐えかねて部室で倒れていると、岩泉が現れた。
「あれ、花巻か」
及川来てない?と尋ねられる。男の城によくもノックもなしにおまえ。
「来てないよ」
「昼寝?起こしてごめん」
「ん~」
起こした頭を再び長椅子へ置こうとすると、岩泉がずかずかと入り込んでくる。
「なによ」
「及川待たして」
「え・・・待ち合わせてんの」
「パシらされた。借りは返してもらう」
部卓の上にコンビニの袋がゴトンと置かれた。
のろのろと起き上がって中身を覗くと、菓子バンと惣菜パンが3つづつ、あと紙パックのレモンティーが2つ入っている。
「男子いつまで休憩時間?」
焼き鳥入りのランチパックの包装をひっちゃぶきつつ、岩泉。
花巻は机の上に顎を乗せながら答えた。
「1時半」
「じゃあおんなじだ」
咀嚼しつつ、岩泉。一口がでかい。
「女子はいつまでやってんの?」
「5時にはあがるよ」
「おれら6時まで」
「いいなあ」
いいわけあるかと思いもするが、いいなあと言われてみればそうかもしれないし、普段があまりにも男前然とした女子がしょんぼりしているのでちょっとギャップ萌えをもよおす。
岩泉は普段の人相が凶悪というか、目付きと表情がちょいちょいヤクザじみているため、男子からはある意味敬遠して見られがちなのだが、それがいきなりしゅんと下を向いてパンとか齧りながら羨ましがられると「あう・・・」などと言いたい気持ちになる。
「花巻、もう昼食ったの」
「食った」
「パン食う?」
「食う」
焼き鳥味をひとちぎりもらう。うまい。今度はカレーパンの袋を破りながら岩泉が問う。
「これ食っても及川来なかったらさー、やる?」
アームレスリングをである。
「やんない。今やったら密室に二人きりで手を握り合う男女になるじゃねえか」
「男女か」
何とも言えない虫を噛み潰した顔をする岩泉。飲み込む。こくんと動く喉は、そういえば細い。
「一回聞いてみたかったんだけど」
真っ直ぐな声だ。
「花巻がおれと腕相撲すんのは、やっぱり女に負けっぱなしはいやだから?」
真っ直ぐは、突き刺さる。
机の木目を見る。言いたいことあんなら言えよ、と、何度かこいつには釘を刺されている。
「今レギュラーの面子の中で、及川のトス回ってくんの確立一番高いの俺なのな」
呼ぶのを待っていたかのようなトス。
「でも及川のエースはお前なんだよ、ずっと」
及川と岩泉は幼馴染で、元は同じキッズチームでプレーしていたらしい。仲が良い。たまにこっそり二人で昼練しているのを、部内の多数が知っている。岩泉に吸い込まれるように、球が軌道する。華奢に見える腕は柔らかい鋼で出来ている。頂点で打烈の音がする、その光を見る及川の顔を、体育館で花巻は何度も見ている。
そうか、と岩泉は応えた。
「ラリー続いてやばい時さあ」
と、語りだす。
「6人で脳味噌繋がるみたいになんじゃん」
繋がりすぎて一つの生き物になる。
「そうしたら及川の上げるボールはどこに落ちるのか、背中向けててもわかる」
岩泉の声が湿っぽくなってきた。
「おれ、男になりたかったなあ」
まるで女みたいなことを、岩泉は言った。
体がぼろぼろだ。
関節が悲鳴を上げている。
「マッキー、今日はどうしたの」
「・・・・・・」
てめえのせいでもあるだろうが。くそ川と呼んでもいいだろうか。
昼寝しそびれたうえに、あの後ディグ練に付き合わされたのだ。
部室に現れた及川に10分弱で菓子パン3つを完食させた岩泉は、「来い」と及川を引っ立てるのみならず、花巻の首根っこも掴んで引きずり出した。
「スパイク頼む」
「無茶言うな、女にマジで打ち込めるかよ」
「そこはてめえの裁量でぼちぼち手加減しろや、こんな贅沢めったとチャンスあるか」
「岩ちゃんスパイクレシーブは十分レベル高いじゃんよお」
「えらそうだなあ及川」
岩泉の声は、黒かった。
「さすが、人をパシリに使うベストセッター様は、言う事が違うなあ」
その後、昼休憩が終わるまで丸々、及川のトスをばかすか真面目に打ち続けてしかもそれをがつがつ岩泉が上げやがるから精神的にもぼろぼろだ!
足を引きずりながら校庭を縦断して帰る。肩に食い込むスポーツバッグがいつになく重く感じられ。俺は。弱いのだろうか。否。
あいつとこいつが元気すぎるだけなんだ、俺は普通だ、普通にすごいはずだ。
「野獣め・・・野生の獣と書いて野獣め・・・」
「それ、岩ちゃんも多分知らないかもなんだけど、最初は意味違ったんだよね」
あん?花巻は及川を振り返る。
「美女と野獣の性別逆転だってさ」
「・・・・・・」
てめーで美女とか言うなきもい。
力が抜ける。
「お前ら早く付き合えよ・・・・・・」
「んふっふー俺の彼女ポジは常にキャンセル待ちなんだよねえ」
ムカつく。そして彼女ポジとは次元の違う、星を祀る席に、目付きの悪い幼馴染を既に乗っけているのがだだもれなのだが、この男は自分で気が付いていないんだろうか。
「・・・んなこと言ってっと誰かに攫われるかもよ」
「誰が攫うっていうのさ、あんな」
「俺とか」
及川の、足が止まった。しばし、見つめ合う。及川は目を丸くして動かない。
ざまをみろ。置き去りにして、花巻は校門を出た。
王子様のキスでお姫様に変身するってか?パンをくわえてうつむいていた岩泉を思い出す。あの光が強すぎるくらいの大きな目が、切なげに伏せられていると、心に波が立つ。
明日は勝つ。
花巻は二の腕に力を込めた。
おしまい
PR