床に投げっぱなしだったシャツを拾って羽織る。ボタンを留めていると、背後で一歩が身じろぐ気配がした。
「ん」
振り返れば、丁度目を瞬かせながら覚醒したところで、ぼんやりとあどけない表情が宮田を認めるや、ぽっと頬に朱が灯る。
この幸福な面映ゆさに、宮田は慣れられない。
「おはよう」
「お、おは、おはよう」
寝起きからいっぱいいっぱいなうろたえぶりを見せる一歩へ、一応の身嗜みを整えた宮田は、ベッドに腰掛ける身を傾けた。
「ちょっと出てくる」
言ってから唇にちょんと触れる。ぎゅうと目を瞑って受けた一歩は、その言葉に唇が離れるなり「え」と半身を起しかけた。
力の入らぬ足腰を、両腕で引きずって起き上がろうとするのに、宮田は「お前はもう少し寝てろ」と釘を刺す。とたん、一歩は泣き出しそうな顔になる。表情があまりにも幼くて、宮田はぐっと息を詰めた。
「どこ行くの?」
不安そうな声は掠れている。
最寄りのコンビニへ朝食と茶系の飲料を買いにいくだけなのだが、「仕事の用があって2、3日は戻れない」とか思いきり淋しがらせてみたい衝動がこみ上げるではないか。
しかし、「宮田くん」と縋る、枯れぎみのこの声を聞けば罪悪感も持ち上がる。昨晩はそういった諸々の衝動が抑えきれずに無茶ばかり強いた。
たくし上げられたシャツを必死に噛んで、声を殺しながら泣きじゃくる様子が思い出されて、あと膝に乗せてねちねち苛めていたらしくしく泣きながら首にかじりついてきて、泣き言でも言うかと思いきや「宮田くん大好き」と蕩けそうに柔らかい頬を擦りよせてきた感触なども思い起こされて、宮田は突如荒くなった息を隠すために空咳をして立ち上がった。
「10分で戻るから寝てろ。外出るなよ」
以前一歩が寝ている間に、買い出しついでに頭を冷やそうと遠回りをして帰ったら、泣き腫らした痕の残る顔のまま帰り支度を整えて部屋を出ようとしている一歩と玄関で鉢合わせた事がある。ぶち切れて部屋へ引き摺り戻した記憶が蘇り、宮田は再度釘を刺さずにおれなかった。
しかし一歩は言い募る。
「ボクも行くよ」
宮田としては一刻も早く、一歩に水道水以外のものを飲ませてやりたい。
「すぐ戻るって言ってるだろ」
昨夜、一歩は何度痛い痛いと訴えたか知れない。訴えたのは痛みだけではないにしろ、自分に余裕がなくて相手の身体に負担をかけたのは間違いなくて、その相手を朝一から急かして外出させるのは気が引けた。
宮田は手を伸ばし、一歩の鼻を摘まんで捻った。
「うっく」
「寝てろ」
うん、と一歩は電柱に繋がれた犬の表情で布団にもぐる。
宮田の口の端に笑みが浮かぶ。
普段は苛立つほどに慎み深く、懐きはしても甘えてこない一歩が、こうした朝はねだりもするし縋りもする。手が焼けるのが心地いいなんて、病気を通り越して自分は死にかけている。
一歩の両手が、鼻を摘まんだままの宮田の手に添えられた。手首を握って己が頬へ持って行き、擦り寄せる。とろけるようだ。
口元まで引き上げられた掛け布団の中から、心細げに濡れた瞳が宮田を見上げていた。少し震えているのが頬に触れている手から伝わる。一歩の目は開いても頭は覚醒しきっておらず、片時であれ宮田が遠くへ行ってしまうことが悲しくてならない。それに耐える表情はいじらしかった。
「早く帰ってきてね」
掠れた鼻声で一歩は言って、名残惜しげに宮田の手を離した。
宮田はかつてない速度で駆けた。
<終わり>
(2009.4.8)
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