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2024/05/06 (Mon)
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2016/06/20 (Mon)
「必殺クリスティーヌバックドロップ」
Comments(0) | ハイキュー!!
岩ちゃんが先天性女体化の及岩です。


必殺クリスティーヌバックドロップ


思えば幼い頃からよく寝る子供だった。寝る子は育つと言うが、成長期も、こと身長に関しては打ち止めになったであろうに、17歳になった今でもこの子は本当によく眠る。せめて時と場所は選んで欲しいと、傍らにある岩泉の頭を丸く撫でながら切に願う及川だ。
いつでも隣にいるはずなのに、たまに遥か前方を駆けている彼女を必死で追いかけている気もするし、それでいて、置いていかないで、という目で見上げてきたりもするのだ。
あの、見上げる目は、よくない。心臓にわるい、と及川は想いを馳せる。
君は俺がいないとダメなんだねえ、という甘い気持ちにさせられる。調子に乗っていいことなど一つもないと知っているのに、岩泉は及川を乗せるのが実にうまい。
いつだって、実は君が悪いのだ。
岩泉がよだれをもぐもぐしながら仰向けに寝返って、及川の脇腹に頭頂部をこすりつけてきた。及川は布団に起こしていた上半身を岩泉へ傾ける。右手で岩泉の横顔をまさぐった。見た目的にも感触的にも子供のようだった。眠れる森のお姫様だ。俺といっしょでいたいがために、女の子に蓋をして知らん顔をしている、とんだあひるの雛だった。
こうやって寝ている隙に唇を奪ったことが、実は数知れない。そのたび、ぴくりとも眼を覚まさない岩泉の、その穏やかというにはいささか豪快が過ぎる寝顔を見るにつけ、俺まだ王子様の器じゃないんだなあと見当はずれのことを及川は思う。
わかっているのに今日も屈みこんで、唇を伸ばしてくっつけてしまった。
ああ。
食べてる時と怒鳴ってる時を除けば、この口は、なんてちっちゃい唇だろ。
手を繋いで空き地を駆け抜けた岩ちゃん、猿のごとくそこらじゅうの木に登っていた岩ちゃん、おやつがわりに歯磨き粉を食べていた岩ちゃん、拾い集めた蝉の死骸を押入れに貯めこんでおばさんにお尻をぶたれてべそをかいていた岩ちゃん、いじめっこのガキ大将を持ち上げて投げ飛ばした岩ちゃん、岩をも砕く岩ちゃん、君の石頭は俺の人生を変えた。君の唇から出る言葉がいつでも俺を動かす。こんなに、小さく、かよわくなってしまっても、君は俺を守ろうとして、そしていつも更にその上をいく。
及川は自分が触れた箇所を親指で念入りに撫でた。とてもやわらかい。でもこれ以上はダメだ。熱がうつるかもしれないし、なにより、王子様のキスは一回で決まらないと。
りんごの味がする唾を飲みこんで、及川は岩泉の寝顔を眺める。
「くあ~~」
大きなあくびを返された。

*
ちょうど一年前、ある晴れた3月の放課後のことだ。男子バレー部の部室には王子様が降臨していた。
スモーキーホワイトの三つ揃え、映画から抜け出してきて現実をねじ伏せるかのような八頭身、たくましい胸板と灼熱のハートがベストのスタッドボタンを内側から押し上げており、それでいて姿勢のよさと腰の細さが演出する魅惑の逆三角形はもはや芸術の肉体美であった。そう。及川さんだ。翻るテールコートの後身の裾が、まことに白馬の尾のようだった。
それが部室の引き戸をガララと割り開いて、
「ハアイ、俺だよ!」
ノリの軽さと反比例して、いつもはゆるふわセットな栗色のツーブロックをオールバックに撫でつけたその首から上たるや、男でも二度見三度見はしてしまいそうに神々しい男ぶりだった。
小さな形よい頭部のおもてには彫り深く眼窩が刻まれており、瞳や唇や肌の色までも宝石のようだ、触れるのも躊躇われる。そんな美貌の上に殴り付けたくなるような表情を浮かべている、それがみんなの及川さんだった。
「……」
「………」
部員一同は無言で返すしかなかった。
及川の後ろから、女子バレの主将と岩泉が顔を出す。
「こんなもんでどう?」
「俺がハンサムすぎてビックリさせちゃったかな?」
「及川は調子に乗りすぎだから」
「すみません」
「岩泉が謝らなくていいから」
新入部員歓迎会の季節だったのだ。体育館の舞台で部活動の紹介をやるのである。大体こういうのは文科系が強い。そこで女子バレー部は女受けを狙って及川を投入することにした。男子部から及川を借り受ける対価は、GWの合宿所使用日選択権とうまい棒3千円分である。
「及川、なんか顔いつもより濃くね?」
「塗りたくられて気持ち悪いですよう、先輩」
「寄るな宝塚」
「その服はどこから持ってきたんだよ」
「姉ちゃんの旦那の結婚式用に作ったやつ。パンツの裾なら下ろしたよ!」
「聞いてねえ」
「え、写真?しょうがないなあ、撮ってもいいですよ。バキューン!」
「うぜえ!!」
「でも撮るけどなちきしょう!!」
男バレ部室内に、及川への怨嗟と罵倒がなまあたたかく渦巻く。
「流れ確認しとくけど、」
と女子部主将がスマートフォンのシャッター音が鳴り響く中で述べた。及川はピストルの形にした両手で、ファインダー越しの心臓を打ちぬくポーズ、カメラ目線を維持しつつ静聴する。岩泉はとても冷たい視線でそれを眺めている。
「最初にうちが及川借りて、白雪姫と7人の巨人やるから。7人の巨人のサーブ全部切った白雪姫が王子様のトスで継母のブロックを打ち抜いたら挨拶して終わり、それで及川引き渡して男子部のスピーチね。及川はとにかく愛想よくしててくれればいいから。ありがとう、これで新入部員20人は固いわ」
「でも、いいのか」
と、3年の男子部主将が女子主将に問い掛ける。
「男目当てで入ってきた奴なんて、ひと月もたねえだろ」
女子部主将は右手を掲げ、親指と人差し指で輪っかを作った。
「部費の割り当てが増えるのよ」
「女子こわい」
「女子せこい」
「ハハハ!吼えな吼えな!引き揚げるよ岩泉!」
勝ち武将の雄叫びを上げて立ち去ろうとする女子部主将。わかりやすく体育会系だ。それについていく岩泉を、及川が呼び止める。
「待ちなよ岩ちゃん!?」
岩泉のみならず男子も女子武将も全員及川を注目した。そして彼の言いたいことがわかる気がしていた。
「この及川さんを見て何か、感想はないかな?」
「客寄せパンダにしては上等だな」
真顔でそう言い残し、岩泉は去った。がららびしゃんと部室の扉が閉まる。男子は皆集まって、眉間を押さえて立ち尽くす及川の肩や背を思いやり深く撫でた。
去年はそんな感じだったんだよ。という説明をしてやると、数日後に後輩になる予定の二名は感慨深げに頷いた。
「まあそんなことじゃないかと思ってましたけど」
と、やたら眠たそうな顔をした方が言い、
「でもみんな仲良しなんですね」
と、身体も顔も縦に長くて、ちょっと頭の悪そうな方が言う。
入学式前日に監督へ挨拶がてら、部室にも顔を出しにきてくれたのだ。先輩としては喜ばしい。いちおう今後のレギュラー中核の一として、顔を覚えてもらいがてら、体育館などを見てもらいに案内役をしている花巻だ。中庭に差しかかったところでついつい北一絡みのサービストークが過ぎ、及川と岩泉の雑談で足が止まってしまった。
「今年の新歓も去年と同じことやるから、及川の勇姿を楽しみにしているように」
長い方はきちんと「はい」と返事をしたが、表情に期待の色は見られなかった。眠たそうな方に至っては「はぁ」と屁のような溜息をついている。花巻はしみじみと、及川の持つ、カリスマ性を凌駕するキャラクター性に思いを馳せた。いじりやすいイケメンなのだ。
「でも、岩泉さんの白雪姫は見たかったです」
ぽそぽそ続ける眠そうな声に、花巻は手を振って否定を返す。
「いや、岩泉は去年も今年も配役なしだよ、主将だから挨拶はすんじゃね?」
「及川さんが王子様なら、岩泉さんがお姫様かと思ってました」
「なあ」
「なんでだよ」
背後を突くかたちで岩泉が現れた。
「誰だか知らねえけど何を勝手な事を」
来週頭、スポーツ推薦で入学予定の一年生二人が、ゆっくりと背後の彼女を振り返る。
「言って、ひぃっ」
岩泉が少し跳ねた。
「岩泉さんだ」
「お久しぶりです!」
折り目正しく頭を下げる国見はおよそ183センチ、金田一は189を越える。おそらくはまだ伸びるだろう。岩泉は擦り足で花巻の背中に逃げた。
「岩泉さん?」
「どうして逃げるんですか」
花巻のガタイを遮蔽物とし、右から追いかければ左へ逃げる。左から覗きこもうとすれば右側へ縋りつく。
「おいおい、何してんの。俺は壁じゃないよはじめちゃん」
「黙れたかひろくん」
「うっ…!?」
下の名前で反撃がきた。予想外の方向から心臓の急所を突かれて硬直する花巻貴大。
「どうだ恥ずかしいだろうたかひろくん。こういう恥ずかしさなんだよたかひろくん。狙っていたぜ復讐の機会をよ」
「やめて!!初対面の後輩の前なんだから本当にやめて!!」
国見と金田一が、岩泉を追い掛けて屈んだ姿勢のまま、ものすごく怪訝そうに花巻を見上げはじめた。この人は何を赤面してるんだろう。
「いたたまれねえから!!」
絶叫する花巻貴大。
その制服の裾を握り締めて皺をこしらえながら、岩泉は猫科の猛獣のような目で後輩二人を睨み付けた。
「…金田一か」
「は、はい。そうですよ」
「…国見か」
「はい、忘れたわけじゃないですよね?」
いまだに花巻を盾に半分隠れて伺っていた岩泉は、低い声を絞り出す。
「……なんで、そんなにでっかくなってるんだ」
なんでって、成長期で、と説明する金田一の背中をどついて制止し、
「岩泉さん去年おれらの試合観に来てくれたじゃないですか」
あの時もうこんくらいでしたよ、と国見がもっともな指摘をすれば、
「二階から観てたらそんな伸びてるなんてちゃんとわからなかった!近くで見たらマジででけえじゃねえか!ずりーぞ!!」
「必死だねはじめちゃん」
「ぼげたかひろは黙ってろ!!
「ぼ、ぼげたかひろ…」
花巻は復唱してくずおれそうになった。
「ま、まさか」
国見が、恐ろしいことに気がついたという顔で、岩泉と花巻を指した。その人差し指がかすかに震えている。
「まさか、そ、そこが、つ、つきあって」
「ないないないない」
「しゃーっ!!」
否定する花巻のないないに被せて岩泉の威嚇が冴え渡る。
「何浮っついた事言ってんだガキャア!!」
叱り方が、威嚇を通り越して、ヤクザの恫喝に近い。
「付き合ってるだのないだの、てめえのことならともかく人のああだこうだを気にする暇があったら表走ってこいや!!誰が白雪姫だ王子様だふざけんなダボが!!」
「後輩達よ、よくわかったね、女の子っぽいことを求められると岩泉先輩はけだものになるんだよ」
「ふしゃー!!!」
「よくわかりました」
「相変わらずだということが」
男子三名はそうわかり合ったが、機嫌を損ねた岩泉は色々と文句を言い足りなくて尚も吼える。
「だいだいおまえら育ちすぎだ!!」
「ぎゅ、牛乳いっぱい飲みました」
「おれだって飲んだもの!!」
地団駄を踏む岩泉。
「毎日朝晩に飲んでるもの!!男ずりーんだよ、何食えばそんなそだちゃちゃぎゅ」
噛んだ。
「岩泉先輩?」
「おいどうした」
口を押さえて黙りこくる岩泉。
「岩泉さん…?」
とても心配しているまなざしの金田一にほだされて、涙声が返ってくる。
「したかんだ」
なぜか男は三人そろって、微妙にときめいた顔をした。

*
あれはそう、新入生歓迎会が終わって少し経った、花巻達が二年になってすぐの5月のことだ。約束通り合宿所を先に使うスケジュールを立てて、男子が3泊、女子が後からの2泊で、互いに最終日と初日が被り、その日の合宿所は非常に忙しなくも騒々しかった。撤収と突撃の二重奏だ。
女子は泊まりだが男子は帰りの入れ違いで、こちとら刻限までどろどろになって荷物をまとめているところに、風呂上りでほかほかの女の子がやってきてみろ。ちょっと、しばらく、帰れないだろ。花巻も、松川も、みんなホワっとしてちょっとお話でもしませんかという気分になって座談会を開いてしまったのだ。そこで新入生のほぼ10割は及川のことを好きだし同学年で運動部じゃない女子の半数以上も及川を好きだし購買でパンを売っているおばちゃんも及川を好きだし毎日校舎回りで犬を散歩させているばあちゃんも及川のことが好きだということがわかった。
「まあでも好きっていうよりアイドルだよね、きゃーきゃー言う祭りみたいな」
「うちらも一時期は祭りに参加してたよね」
「入学してから半月くらいで終わったよね」
と同学年の女子はなごやかに塩辛い事を言い、
「他の部ではまだ祭り続いてるみたいですよ」
「写真撮ってきてって言われますもん」
「うちらは写真見ても最早苛立ちしか起こらないです」
とGWまで退部せずに生き残った一年生達もかわいらしく毒の混じった事を言う。
「岩泉を敵に回したくないしね」
女子一同、深く頷く。
「え…」
男子一同、ざわつく。
「そ、それは」
「岩泉って、及川のこと好きなの?」
「それは本人がそう言って?」
数名、掛けていた自動販売機横のベンチから腰を浮かせて尋ねると、「ちがうちがう」と否定された。
「及川さんて観賞用よね、って言った子がいて、岩泉さんがたまたま聞いてて、その場でシメられて」
「シメられた」
男子全員、犬歯を剥き出しに凄惨な笑みを浮かべながら後輩を片手で縊り殺す岩泉を思い描く。
「次に及川バカにしてんの聞いたらぶっ殺すからな、って言ってました、あたし聞きました」
花巻は腕を組んだ。松川も温田も目をしぱしぱさせて顔を見合わせた。
「まあ、俺らもぶっ殺すけど」
「愛され方が複雑だなあ」
女の子たちはほがらかに笑い飛ばす。
「愛じゃねーよ」
「ホモじゃねーよ」
「尊敬だよ」
温田が恥ずかしい事を言って締めくくり、「おまえは熱いなあ」と男子各々は引いたが誰も否定はしなかった。女子の視線が生暖かい。
「あれっ、もうみんな、風呂入ったの」
遠くから話し掛けてきたのは渦中の人岩泉だ。ごていねいに及川を連れている。二人とも汗みずくで頬が真っ赤だ。疲労に満ち足りた、嬉しげな表情をしておられる。
「岩泉、まだ自主練してたの。しんどくない?」
「ご飯の後動いたら、お腹に悪いでしょ」
「ごめん」
謝っても頬っぺたはつやつやのぴかぴかだ。
「及川、てめえも自主練か」
「お前オーバーワークで足いわしてんだろふざけんな」
「自己満足で俺らに迷惑かけたらぶん殴るからな」
「男子がきびしいよー!!俺にも女子が岩ちゃんにしてるみたいに優しく言ってあげてよお!!」
あらあら、うふふふ、と微笑ましげに見守る女子部員たちの表情を、岩泉は首をかしげながら眺めた。
そうしてひとしきりいじったりいじられたりしたのち、「そろそろ、風呂入ってくる」と岩泉が言い、「俺も荷物取ってくる」と及川も言い、二人は連れ立って宿泊部屋への階段へと去って行った。Tシャツの襟元を持ち上げてくんくん嗅いでいる岩泉を「犬じゃないんだから」などと及川がたしなめつつ、小さくなっていくその後姿を見送って、花巻は溜息をつく。
「二人で自主練か。妬けるねえ」
「えっ、花巻って、もしかして岩泉のこと?」
今度は女子らが床から踵を浮かせて前のめりになった。
「いやあ、そっちじゃなくて、及川の相棒って昔から岩泉で、敵わねえんだなって思うんだよ、よくコンビ合わせる身としちゃあね」
及川は云わば精密機械になろうとして、いつもオーバーヒートを起こしている綱渡りのアドレナリンジャンキーだ。奇跡などおこらないからバレーボールを愛している。愛するということは挑むということだ。彼の放つ、ボールの形をした信頼が軌道する。ようやっと天空だ。頂点で打烈の音がする、その光を見る及川の顔を、花巻は何度も見ている。
俺はたぶん、及川のエースにはなれない。俺だけじゃない。青城のエースにはなれても、日本の、世界の、エースになれる人でも、きっと及川の星にはなれない。あの重圧と苦痛と呪縛の信頼。
そうねえ、と相槌を打ってくれたのはセッターポジションの女子だった。ちょっと妬けるけど仕方ないわよね。そう言って笑う。花巻も笑った。


*


二年生になった。三年は秋までにほとんどが引退してしまう。一番気合を入れていかないといけない時期に差し掛かっている。岩泉は、息を吸って、吐いた。
見慣れた体育館倉庫の中は、明日の新入生歓迎会に各部が用いる小道具などの置き場になっていて、だいぶ面変わりして見えた。
吹奏楽部のドラムやティンパニー、社会科学研究部や歴史研究部のパネルだとか巨大な紙を巻いてまとめたもの、パイプ椅子の上には調理部の色違いエプロン、となりには天文学部の望遠鏡。
祭りの前夜だ。
岩泉は見渡して、少し感動した。去年は歓迎される側であったし、今年もほとんどやる事がないので、イベントという感覚が薄かったのだ。
じろじろと見慣れないそれらを観察して歩くうち、バスケットゴール横でひときわ目を引くそれに、視線が吸い寄せられた。演劇部が何かやるのだろう、お姫様のドレスだ。ほんものだった。
「すごい」
近くへ行って、改めて見ると、けっこう安っぽい。ハンガーで無造作にバスケットゴールに掛けられているピンク色の総ポリエステルはしかし、確かに女の子の夢の形をしている。ふくらんだ袖と、胸元のレースと、腰のリボンと、薔薇の花を逆さまにしたようなスカートが、ドレスという形の中でぎっしり押し合いへし合いしていた。
そのスカートの花弁の一枚目、ふわふわした所に触れてみたいのが躊躇われて、岩泉はドレスの回りをちまちまと爪先で一周する。見れば見るほど物珍しい。
「着てみたい?」
声をかけられて飛び上がった。びゃっ、みたいな声も出たかもしれない。
「及川!」
振り返らなくても声の主はわかっていたが、振り返る。やはり及川がそこにいた。さっきまで白のスリーピースで校内にお邪魔してはぎゃーぎゃー言われていたのが、流石にもうジャージに着替えている。髪の毛だけがスタイリング剤の名残でばらついていた。
「びびらすな!」
「岩ちゃんが勝手にびびってんじゃん。ねえ、着てみたいなら着てみたら?意外と似合うかもよ」
「殴り殺すぞ。その携帯を仕舞え」
「別に写真に撮って保存してあとあと脅迫材料にしようだなんて思ってないよ…ただうっかり手が滑ってカメラ起こしてシャッター押しちゃっただけだよ…」
犯してもいない罪の言い訳をしながら、及川は右手の携帯を腰のポケットにしまった。そして左手にぶら下げていたものを差し出してくる。
「まあ岩ちゃんに似合うのは、ドレスよりもこっちかな」
いたずらを仕掛けようとしている表情だ。
「何だよ」
岩泉は用心深く受け取った。服だ。衣装のシャツかと思ったが違う。
広げてみる。今朝の空と同じ色で数字が書いてあった。
眼の奥が熱い。
「1番だよ。バキュン?」
人差し指で撃ち殺す真似をされても、岩泉一ともあろうものが、腹も立たない。「ふざけんな」だなんて言葉も出てこなかった。
広げたものを頭上に掲げて、よくよく眺めながらやっと声になったのが、これだ。
「すげー…」
「そうだよ、俺はすごいんだよ。知らなかった?」
岩泉は、広げた白に沁み込んだ青の1番を見上げながら返事をした。
「知ってたよ」
試合用のユニフォームは丈夫だが厚くない、日の光なら透けて通る。1番に差す光が、岩泉の顔を照らしている。
及川は少し黙って、それから笑ったようだった。
「知ってたか」
そして突如岩泉の手からユニフォームを奪い、まだ呆然としている岩泉の頭に勢いよく被せてくる。
「うわあ」と叫びながらもがもがしているうちに腰の下までしっかりと着せられてしまい、「みえないみえない!」と暴れる勢いで襟ぐりから頭も出て、「何すんだよ!」と怒鳴っても手遅れだ。にやっと笑いかけられて、岩泉は諦めた。
「はい、手を出して」
と袖を持ち、着るのを促す及川に、戸惑いながらも従って腕を通す。
「大きい」
男子のユニフォームなのだから当然だ。半袖の端が肘の近くまで来る。
及川は、
「そりゃ、岩ちゃんが」
と言い差して黙った。
小さいんだよ、と言おうとしやがった、と察して睨み付ける岩泉の眼光から眼を逸らして逃げる。
「こんな大事なもの、人に着せたらダメだろ」
「岩ちゃんは人じゃないでしょ、怪獣でしょ」
岩泉は及川の足を踏んだ。
「いでえ!!」
「そうじゃなくて!だから、女に着せるとか、そういう」
「岩ちゃんは女じゃないでしょ」
及川は笑う。
「俺のエースだ」
再び振り上げた岩泉の足が、行き場を無くして床へと落ちた。及川が、手を取る。
「こっちに鏡があるよ」
引っ張られて、岩泉の足がもたつく。
「ほら、見てみな」
「うわあ」
腕を引かれて急ブレーキで一回転、軽く目を回しながら正面を見れば確かに背の高い姿見があって、やはり見間違うことなく試合用のユニフォームだ。
「…俺の眼が悪くなったのでなければ、キャプテンマークがついてるように見えるんだけど」
「主将交代したわけじゃないよ、キャプテンマークのついてない1番をわざわざ作るのももったいないでしょ」
岩泉は、知っている。及川は、バレーボールに注ぐ心血を惜しまない。見ているほうが恐ろしくなるほどに注いで、注いで、きっともう寿命の何年か分は持っていかれているに違いなかった。だからいつも眩しかったし、その眩いものの中で並び立てる男の子達が羨ましかった。
及川の、岩泉の誇るこの男の、上げるボールを打つべくして飛ぶその野郎どもが、ずっと羨ましかった。
先月まで一年生だった生徒にこのユニフォームは重い。きっとみんなもわかっている。及川徹はバレーボールを愛していて、バレーボールに愛されない。茨の道を行く人だ。及川がチームに敷く道もおそらくは茨だ。青葉城西が何を目指すのか、それをこのナンバーは示している。
及川が、ふたたび岩泉の手を引いた。
「なんだよ」
ぶっきらぼうに応じてみせるが、及川は上機嫌のようで、引かない。
「ほら、こうやって、爪先で後ろ、前、後ろ、前、ってするんだよ」
腰も抱かれる。
「右に一歩出して、左にターン、」
そしてくるっと一回転だ。岩泉の足がちょくちょくもつれて持っていかれそうになる度、及川のリードに引き上げられて、岩泉は笑い出してしまう。
なんて、子供みたいにたどたどしい、鬼ごっことか隠れんぼとか、そんな感じのダンスだ。
「はい、前、うしろ、右、ひだり」
「ひゃはは」
ジェットコースターみたいだ。岩泉はジェットコースターが大好きだった。
「岩ちゃんもっと大胆に、ほらほらほら」
「回すな回すな、わわわわわ」
駒の様にダブルスピン。目が回って頭がくらくらする。
「及川、もう俺、あははは」
岩泉は転びそうになりながら、及川の腰に抱きついた。
「岩ちゃん」
「あはははは」
「岩ちゃん?」
及川の足の裏が宙に浮く。風を切る感覚が、ふっと及川の頬を撫でた。
「調子に乗ってんじゃねえぞ!!」
及川は後方へ投げ飛ばされた。走り幅跳びのマットの上に、及川と、及川のシャツを掴んだままの岩泉が、いっしょくたに雪崩れて倒れこむ。
「ひきゃあ」
「ぶはっ!」
埃が舞い立つ。
「やばい」
岩泉は慌てて起き上がり、辺りを見渡した。きれいなドレスや大事な製作物があるのだ。ひととおりきょろきょろしてぶつかったり倒したりしていない事に安心し、ふう、と一息つく。心臓があかるく弾んでいる。すぐ傍らで、やはり身を起こしている及川を見た。
及川も笑っている。
「うははははは、おまえ、頭ぐしゃぐしゃ」
「いひひひひひ、どうして岩ちゃんは、暴力で締めないと気がすまないのか」
及川の手が伸びてきて、岩泉の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。岩泉も手を伸ばす。
「いててててて、岩ちゃん」
髪の毛を左右から引っ張られて、及川は笑いながら痛がった。
「あーあ。新歓やったら、また文化祭の試合の時みたいに、お前しばらくきゃーきゃー言われるんだろうなあ」
「あれ、妬いてるのかい」
にやりとする及川に、岩泉は顔の真ん中にパーツをぎゅっと寄せるしかめっつらをしてから、
「じゃあお前は俺が大勢の男子にきゃーきゃー言われて毎日呼び出されて色んなところで俺の岩泉俺の岩泉言われてても気持ち悪くないか?」
「吐くね」
及川は笑顔のまま即答した。
「その集団にゲロを浴びせかける勢いで吐くね」
「なー」
と岩泉が、二人きりで色々と緩んでいる時にだけ見せる笑い方で微笑むので、及川は手を伸ばす。たやすく抱き寄せられる。懐に収まる。
「及川?」
「想像しただけで」
あたまがおかしくなりそうだよ、を飲みこむ。何度も何度も飲みこんでいる。何年もそうやっているうちに自動的に飲みこむ癖がついて、夢の中でだけだ、声にできるのは。
「おいかわ」
岩泉の声が困っている。中学生になるまでは一つ布団で寝たことだってよくあった、中学生になって岩泉がスカートなんか履きだしたからだ、こんなこともできなくなって。
腕の中の幼馴染を伺う。存外、気にしていない風で、きらきらした目で、及川を見上げている。暖かくて柔らかくて猫の仔のようだ。
こんなことも。
できなくなって。
そりゃそうだ。
しちゃダメだ。
これ絶対だめだろ!!!!!
及川の腹の底にある山脈の頂からマグマが噴出し「あべべべべ」とか面白い声が出たがその勢いでなんとか岩泉を手放せた。突如引き剥がされてぱちくりしている顔が、とても、めずらしい、かわいい。かわいい。
かわいいなあ。
歯を食いしばって噛み締める及川に手を伸ばし、「おまえ、なんなの」と岩泉がちょいちょい前髪をなでてくれる。ちっちゃくて柔らかくて暖かいお星様だ。ああ、岩ちゃん、も、もっかい、と岩泉に伸びていこうとする指を拳にして握りこみ、及川は己の腹を殴った。噴火よただちに鎮まれ。
「ど、どうした。おいどうした」
「お、おなかが、ぐうって鳴りそうになって」
「鳴らしゃいいだろ水くせえな女子かよ。あっ、そうだ」
岩泉は両手を合わせてにっこりした。かわいい。げっそりするくらいかわいい。及川は唾を飲んだ。
「帰り、コンビニじゃなくて、パン屋さん行こう。バス亭から反対側いったとこの、遠いけど、あそこのクリームパン」
生クリームが、いっぱい入って、お前の大好きなやつ。と嬉しげに話す岩泉。及川は更に自分の腹をさりげなく連打した。
「あ、そうだ」
さてじゃあ帰ろうか、とマット立ち上がりかけて、思い出して岩泉はユニを引っ張った。
「着てて汚したらまずいし返すわ」
「ん」
「汗かいたかも、わりい」
「い、いいよ…、一回岩ちゃんが着たらさ、岩ちゃんも一緒にコートにいる気がするじゃん」
ちょうど、脱ごうとして襟を鼻の頭まで引き上ていた岩泉は、動きを止めた。
「くさいぞ?」
「…いいよ、べつに」
よくわからない事を静かに言う及川。
そうか、と岩泉は頷いた。すん、と小さく鼻を啜る。埃っぽさで、鼻腔がむずがゆかった。
「俺だって」
「うん?」
「俺だってな、お前がうかうかしてたら、ほっといて先に全国行くからな」
「うんん?」
「おまえ女バレ馬鹿にしてんのか!?負けねえからな」
及川は口の端を吊り上げて笑った。不敵な笑みだ。
「もちろん馬鹿にしてない。でも俺も負けない」
「よし」
岩泉は頷いた。
「よし、よし。そんなら、いい」
及川の笑顔が、固くなってきた。
「岩ちゃん?」
「俺だって、ユニもらえるように頑張るんだから」
ぎゅう、と岩泉、及川の一番を抱きしめる。無意識にユニフォームを自分ごと掻き抱いて、襟ぐりに鼻面をこすりつけ、ぐすん、と啜り上げた。
「すぐに追いついてやる、追い越してやるんだからな、うかうかしてたら」
強く抱き締めて皺の寄った衣服越しに、華奢な身体の線が浮いていた。
「先に行くからな」
宣戦布告する瞳はまばゆいばかりだ。
いつでも及川の身を焦がす光だった。
(続く)

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