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2024/05/06 (Mon)
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2016/06/20 (Mon)
「必殺クリスティーヌバックドロップ」
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下の続きです~(長すぎって言われて投稿できんかった)


必殺クリスティーヌバックドロップ

(続き)

三年生になった。一年は長いようでいて過ぎてから振り返れば眩暈がするほどに短い。最後の一年が始まる。がんばろう。思いながら、岩泉は体育館倉庫に足を踏み入れる。明日は新入生歓迎会だ。表舞台の派手な役は、そういうのが得意な仲間に丸投げさせていただいて、岩泉は部長として最後に挨拶するのと、あとは大道具を出したり引いたりするくらい。楽だ。とてもいい。というわけで、バドミントン部から借り受けた簡易ネットを置かせてもらいに来たのだ。去年もおんなじ事をした。
そいつも、去年とおんなじ所にあった。演劇部の切り札、お姫様ドレスだ。くたびれた様子もなく輝いている。相変わらず、すこし眩しい。
触っちゃおうかな。
指を伸ばしてみるが、はやり躊躇われる。一度はそこに触れかけた人差し指をくわえて、もの欲しげな顔になる岩泉。
「うーん」
やはり、触ってはいけない気がする。特別感がすごいし。
声がかかった。
「着てみたい?」
びゃっ、と岩泉は飛び上がった。
及川じゃない。
振り返る。
「人間ってびっくりすると本当に飛ぶんだな」
「は、はなまき」
たかひろくんは、にっこりした。
「着てみれば?」
「八つ裂きにしてやろうか」
「なんでそう猟奇的なの」
似合うんじゃないのって言ってんのに。不満げに言いながら岩泉の横に並んだ花巻は、しかし確かにこりゃ本格的だなあとドレスを見上げてしみじみした。
「こんなとこに置かれてるのがちょっとかわいそうかも」
「うん」
同意する岩泉。
「でもほんとに、岩泉がお姫様やったら面白かったのに」
国見じゃねえけど、と地雷原に踏みこんでくる花巻を、岩泉はぎろりと睨み付ける。
「自分が王子様やってから言えよ。なんで毎年及川なんだよ、挑めよ」
「ムリですイヤです絶対にやりません、俺は黒子ってか二番手が性に合ってるんだよねえ」
岩泉の花巻を見る目が、ことさらに鋭くなった。花巻は笑う。意識して、いつもの笑い方だ。
「まあ岩泉がお姫様をやるんなら、挑む価値あるかもしんないけど」
「しゃーっ!!」
「ははは、毛が立ってんぞ」
逆立つ頭髪をなでなでされて、ううう、と唇を噛む岩泉。何か歯がゆそうだ。
「うー。使うネットはこれな。ここ置いとく。及川の衣装とかはそっちで適当にやって。集合するのもここな」
「うぇい」
花巻は今まで片手に持っていた紙の束を掲げた。A4用紙にプリントされたスピーチ原稿だ。
「カンニングペーパーです。ここに置かして」
「そんじゃ、この辺に投げとけ」
「うぃー」
「金田一と国見は帰った?」
「ああ、でも明日からもう練習には参加する」
「女子は今日から参加なんだぜ」
「まじか」
つええなあ、と感心して見せれば、
「インターハイは女子のが遠い」
と、何故か睨まれる。昨年11月の春高予選、女子バレー部は県のベスト4進出で終わった。
「遠いよね」
「ああ、遠くても近くても行くしかねえだろ」
「ほんとにお前が男バレに欲しいわ」
岩泉は拳を振り上げて、花巻の胸を軽く殴った。軽くのつもりだったのだが、何故か花巻は呻いてしゃがみ込んだ。
「ないものねだりをするな。男バレは俺にまかせとけって言え」
「う、うぐう」
「男バレを全国に連れてくのはお前だろ」
きっついなあ。
凶器の眼光で睨んでくる岩泉を、ねっとりと睨み返しながら花巻は思う。
なんでこの人の言葉も視線も、まるで刃のようだ。その切っ先に触れたが最後、血を見ずには済まない。
「…まあ、俺なりに、がんばりますけども」
膝の埃を払い、花巻は立ち上がった。
「がんばらないと、もう、後がないしね」
3年生だ。
あっという間の高校生活だった。
突如花巻は自分の肩を両腕で抱いて身悶えた。
「あーやだやだやだ!!こういうしんみりした雰囲気、俺生理的にだめなやつ!!」
「自分で勝手にしんみりに持ってったんだろうが」
「お前が全国とか言うから色々よぎって思考が重たくなったんだよさっき国見見たでしょ!?あいつ俺と同ポジなのしかも推薦組なんだよいいけどね別に!!いいけど地味にプレッシャーきてんだから追加しないで!!」
「プレッシャーも背負うもんも重くなって当たり前だろ。3年なんだから」
「だからさー!!」
岩泉は、大きく息を吸い込んでから、一喝した。
「おたおたすんじゃねえみっともねえ!」
「クソカッコイイな!?」
ふん、と鼻息荒く吐き出して、岩泉が胸の前で腕を組む。バスケットゴールに揺れるドレスを顎で差し、
「俺はあっちより、うちの4番がいい」
「あらまあ」
花巻はオネエくさく肩を竦めた。
「そう言わず、踊ればいいのに」
「あん?」
「お姫様になって、こう、ドレス着て舞踏会で踊る役を…あれ?白雪姫って踊らない?」
「なんか適当に、踊ることにしたらしい」
「じゃ、それやればいいのに。ユニもドレスもどっちも着ればいいじゃん、女子って着替えるの得意でしょ、なんてーの、コーデ?」
「ドレス着なくても踊れるぞ、あたしは。ダンスなら去年、ここで及川に教えてもらったんだ」
こうだろ?と岩泉が回転する。豪快なターンだ。花巻は「へー」と白い目で相槌を打った。
「そんで、こうだろ?」
「待て。待て、それは、踊りではない。プロレス技じゃないのか?」
「それを更にこうだろ?」
「サブミッション!!関節技、関節技だよそれは!!」
新歓の前日に何をして遊んでたんだお前らは、主将が二人して、とつっこんでいくと、岩泉はぐふぐふと嬉しそうに笑った。憎たらしい猫のよう。
「で、その及川は?」
と、岩泉が首を傾げて聞いてきた。
「集合時間を確認しときたいんだけど」
最もだ。花巻は頷く。
「あいつはな、明日の衣装合わせっつって着たいだけなんだろうけどまたあの格好で、女子に囲まれて撮影会やってるよ」
「マジでクソだな」
岩泉は吐き捨てた。
二人は倉庫を出て、舞台の様子を見に、椅子が並んで様変わりした体育館の中をゆく。
「去年も緊張したけど」
「ここで喋らないといけないんだよなあ」
「なあ。及川すげえよな」
どんな心臓をしているんだろうと、舞台端に腰掛けながら感心する花巻。誰も見に来やしないだろう。自分の隣をぽんぽん叩けば、「クソだけどな」と及川を貶めながら、岩泉も両手を壇のはじにかけてよじ登ってきた。
並んで腰掛けて、体育館の中を一望する。そうだな、クソだな。本当に、バカだと思う。
「あんな奴やめて、俺にしときなよ」
冗談めかして言うと、今日で一番きつい視線で射竦められた。はじめちゃん、ここは恥らうところでは。しかし仕方がない。雌ゴリラにしてミノタウロスにして伊達政宗にして岩泉だ。
「あのな」
真面目に怒った声で言われて、あれ、俺、もしかしてすごく無神経なことを言ったんだろうかと、花巻は「うん」と応答しながら尻の穴がきゅんとした。
「俺はお前の事好きだよ」
「……」
花巻は目を閉じた。頭の中のアメリカ人が丁寧に翻訳してくれる。アイ・ライク・ユー。
「だからそういう言い方をされると腹が立つんだよ」
「ん?」
「お前、いっつもハナっから二番手に甘んじる言い方するとこあるべや」
そうだ、だって、王子様なんてガラじゃない。役が俺には重すぎる。自分にできる、せいいっぱいを、
「でもそれが本心じゃねえだろ」
やめろ。と思ったが、声にはならないし、なったところで、止められるとは思えなかった。どうせ見透かされているなら、いっそ暴かれたい。
「及川のエースは俺だって、そら俺も譲らねえよ、でも、諦めるのは違うべや。お前、俺にしとけっつったけど、冗談でも、んな自分で我慢しとけみたいな言い方で、自分を貶めるな」
この人の、言葉や視線は刃だ。その切っ先に触れたが最後、血を見ずには済まない。
暴かれるのは痛みを伴うここちよさだった。切れ味のよい刃だ。
「俺って卑怯かな」
ぽつりと聞けば、岩泉は歯をがちがちと鳴らして答えた。
「卑怯ってのは他人を貶める奴のことだろ。お前は違う。頭がいいんだろ。うまいこと保険かけようとしやがって。もっとバカになれ」
「わかった」
花巻は頷いた。
「言い直すよ」
岩泉は、なんにもわかってないくせに全てをわかっているような顔で花巻を見た。
うん、綺麗だ。
まともに向き会うつもりなんかなかった、自分にも、こいつにも。だけどもうしょうがない。なるほど。これが俺だ。
花巻は悟った。悟ったことを、そのまま告げた。
「君の事が好きなので、俺と付き合ってください」
幕は、既に上がっている。校庭から聞こえてくる野球部の鬨の声がファンファーレだ。天窓からは、光が差す。樹木と、土の匂いがしていた。
*

「ごめん」
花巻の瞳から目を逸らさないで、でもどこを見ているのか知れない生まれたばかりの動物のような目で、岩泉は言った。
言いながら、なにがごめんなんだ、と自問する。
きみのことがすきなので、おれとつきあってください。
それはできない。だからの、ごめんだ。でもなぜだ。
今は部活に全力を注ぎたいから。
受験もあるし、時間がないから。
好みのタイプじゃないから。
そんな目で、見たことがなかったから。
全部当てはまるようでいて当てはまらない。いつか誰かと恋をして結婚して子どもを産んで、そうなればいいなあとぼんやりぼんやり考えたこともある。でもそれは遠い遠い先の話で今じゃない。花巻が嫌いな訳はない。誰とも付き合えない。だって誰かの彼女になるっていうことは、そんなのは、女の子のすることだ。
女になるっていうことは。
及川と一緒にいられなくなるという事だ。
「うん」
花巻が頷いた。薄く笑っている。へんな奴だ。絶対に、たらしなのだと思う。息をするようにそういう事を言ってくるから、色々恥ずかしいけど、こいつ、俺に妬いてるんだよなあ。
及川は色んな人の光だ。みなの寿命ごと抱きこんで燃やそうとする死神の目をした光色の動物だ。及川をはさんで、ずっと俺ら互いに妬み合ってんだよなあ。
ぐるぐる考えては表情がどんどん生まれたてになる岩泉を、花巻は、黙って待つ。
やがて双眸が、ぱちぱちと瞬いた。初めて光を見たような穢れのない瞳だ。
かわいいなあ。花巻は胸が熱くなった。さあ、どうぞ、心臓なら差し出してある、血を流そうぜ。
「あたし、及川のことが好きなんだ。だから、花巻とは付き合えない。ごめん」
花巻は両手で岩泉の頭を撫でた。猫の仔にするように抱き寄せて顎の下まで撫で回す。愛撫というよりも暴行に近いそれを、岩泉は呆然として受け入れた。
「うん。おまえなあ、気付くのが、すごい遅かったな」
花巻の手の下で、双眸が潤む。
「くやしい」
「うん?」
「俺は、もっと、不細工で、無愛想で、俺にしかいいとこがわかんないような奴に惚れたかった」
「はあ」
岩泉はじたばたと座ったまま暴れはじめた。花巻の手も振りほどかれる。ぴんぴんした髪とふくふくした頬を惜しみつつ、離れていく。
「くやしい!ちくしょう、やだやだ、なんか腹立つ!」
「そんなもんだよ」
と花巻は宥めた。
「思い通りになんかならないのが人生だよ」
「何歳だよ」
花巻も自分で言いながらそう思った。大人ぶる癖は治らねえなあ。岩泉のつっこみに笑顔で頷く。
「しょうがないだろ、好きになったもんは」
岩泉は、赤面した。
「う、うん…」
両のお手々をこねこねして、やっと恥ずかしがりはじめる。
「告白したらいいよ」
「し、しない」
「なんで?及川は、あれどう考えても、岩泉のこと好きでしょ」
「それ、たまに言われるけど、あいつのあれは家族愛だ。あいつは身内に甘いから。あと、女じゃないってよく言われるもの」
さして不満でもなさげに、口だけ尖らせて言う岩泉。
「……」
花巻は一瞬、仮にも告白した相手とその相手が惚れている男を、この壇上へ並べて立たせて、一発づつ張り倒したい衝動でいっぱいになった。
「……家族愛ゆえに、ひとのリコーダーを舐める男がいるとおもう?」
「何言ってんだお前。いるわけねえだろそんな奴」
「……」
花巻はぶらつかせていた踵を壇上に上げて体育座りをする。膝と膝の間に顔を埋め、熟考した。岩泉が不審に思って覗きこんでくる気配がする。いくら考えても、これしか言う言葉が見つからない。
「いいから、告れ…!」
「う、うううん」
なぜか、ものすごく岩泉の歯切れが悪い。事が事だとは言え珍しいことだ。
「俺が告ったんだからお前も告れ」
「や、やだ」
「なんでよ」
「なんでって…」
花巻は我が校にとってものすごいイベントへの火蓋が切り落とされたカウントダウンを数えはじめようとしているのだが、この期に及んで岩泉が抵抗する。くっついてくんねえかなあ。告白しておいてなんだが、こっちの諦めの付きようというのもある。いつもはあんなに怪獣並の存在感を醸す岩泉が、ちいちゃくなって両手を握りこみ唇をむにゅむにゅさせている様は、なんともいえずに可愛く、その威力は花巻の下腹部を攻め立てた。
「告ったら、もう今までみたいに遊べなくなるとか、そういう事を気にしてるの?」
「ちがう。及川はクソだし器もちっちゃいけど、そんな了見狭くない。もし、こ、こくって、ふられたって、友達だよ。だいじな。わかるもん」
岩泉はむにゅむにゅしながら一生懸命に考えていたらしく、わりといっぱいしゃべった。
「でも」
「でも?」
追いかけてくる花巻に、岩泉はちょっと口を噤む。頬に乗った赤色が濃くなる。
「お、及川って」
「うん」
「ときどき、あたしに、触るのな」
花巻の右眉が、吊りあがった。
「んんん?」
「へ、へんな意味じゃなくて、手を繋いできたりとか、顔とか触るの。あたま撫でたり。なんなら、ぎゅ、ぎゅって、してくることも、すごくたまにあるの」
花巻は腕を組んだ。恋する男子を超越した娘の惚気話を聞く親父の顔で頷く。
「うん」
「そういうのが、なくなるでしょ」
「うん?」
何を言っているのかな。
「こ、こくはくしたら、もう、触ったり、ぎゅってしたりって、なくなるでしょ」
「……」
「だから、しない」
と岩泉は締めくくり、うん、と頷いて自分の言ったことに自分で納得しながら、不意に心細そうな顔で花巻を見た。
「ひ、ひきょう、かな」
そんなこと、ないと思うよ。
ないと思うけど、おまえ、それ、ちょっと。
下腹部にわだかまる不思議な感情、恋心と親父心とあと諸々が岩泉の衝撃の告白によって肥大および炸裂し、花巻は身体のバランスを失って、体育館の壇上から床へと落下する。
「はにゃまきーーー!!!??」
岩泉の悲鳴が、午後の陽光に照らされる館内に響いた。
*

部室で鞄の中身を片付けていると、及川がやってきた。
「あれ、マッキーおつかれ」
「おう」
及川は着替えを済ませて顔も洗ってきたらしく、この寒いのにハーフパンツで、髪の毛から水を滴らせている。ちゃんと拭けよ。
前の3年が卒業して寂しくなったロッカーも、近い内にいっぱいになるだろう。金田一、国見、の名札が貼られたそこをしげしげと眺める及川に声をかける。
「じゃ、俺帰る」
「はーい」
「あと俺岩泉に告ったから」
及川は、ロッカーからタオルを引っ張り出す手を停止して、花巻を見た。
「ふられた」
「そっか」
「好きな奴がいるみたい」
及川は完全に静止した。花巻は見守る。しばし、身体を動かすための血液を全て脳へ循環させて考え廻らしていたらしい及川は、やがて再起動して、
「…それ、俺?」
「殺すぞ」
花巻は、表情筋の下にある血管がふくらんで自分のコメカミを押しあげる音というのを初めて聞きながら、及川に殴りかかりたいのを堪えきった。意気込みは伝わったようで慌てて謝罪される。
「ご、ごめん」
「俺は気持ち伝えて振られるというリスクを犯して手に入れたわけだよその情報を。誰が教えるかよノーリスクのクソが、餃子の中身みてえにしてやろうかああん?」
「マッキー、岩ちゃんに似てきたよ!?」
「あー岩ちゃん岩ちゃん、いつまでもお前の岩ちゃんだと思うなよ、誰でしょうねえ岩ちゃんの好きな相手ってねえ絶対教えねえしむしろ行けや、お前も行けや、お前が行けや」
「は、はぁい、おちついて」
「ちっ」
舌打ちしながら部室を後にしようとして、ふと思い留まり、花巻は及川を振り返った。
「あと、振られたけど、諦めてはねえから」
人差し指を鉄砲の形にする。目指すは及川が掲げる旗の上、燦然と輝く一番星。ばきゅーん、だ。
「行くぞ全国」
及川は笑った。なめくさりやがって。
「どしたのマッキー、暑苦しいね。行くよ。決まってるでしょ」
笑っているかに見えた及川の口の端が、細かく痙攣しているのを目撃し、溜飲を下げて花巻は手を降ろす。
「俺が連れてく」
言ってみるもんだ。背筋が伸びるし、及川の顔が更に怖くなる。
「いいや、俺だね」
「じゃあどっちが岩泉にいいとこ見せるか勝負だな」
「おおお、おまえ、言いやがったな」
何かの琴線に触れたらしく激昂しかかる及川の手前で部室の扉を閉め、花巻は一人爽やかに深呼吸だ。空は夕暮れの赤い色をしている。
好きな子がいるっていうのは、悪くねえなあ。
撫で回した時に嗅いだ甘い汗と石鹸の匂いを思い出す。花巻は階段を駆け下りた。横顔も、耳も、髪も、辿る道すらもが流れる血のように赤く染まる時刻だ。流れても流れても尽きることがない奔流だ。この衝動に従えばいい。流れ着く先にいる人の、凶悪に睨み付けてくる面構えを思い出しながら、花巻はその脳裏にある面貌に負けず劣らずの人相で微笑んだ。
*
背中にぺったりと貼り付いた岩ちゃんが、くうくう眠そうな呼吸を漏らしはじめた。俺は岩ちゃんのベッドの上で、石ころのように蹲っていた身体を起こす。乗っかっていた岩ちゃんが布団に落ちる。
「ああん」
子どものようにぐずるんだから。
「岩ちゃん、ほら、お布団に入りなさい」
上掛けと毛布をめくって促すと、そのあたたそうな桃色の洞窟状に本能が惹かれたのだろう、半分寝落ちしたまま大人しく潜り込んでいった。
もぞもぞ布団の中でうごめいては「おいかわ」と俺の名を呼ぶ。
「ん?」
なあに、岩ちゃん。
「おいかわ」
「うん、ここにいるよ」
「かえっちゃうの?」
鼻まで布団に隠して目だけで聞いてくる岩ちゃんの声がとろとろしている。さては俺の耳を溶かす気だな。こう見えて心臓と頭の中身もけっこう溶けきってるぞ。
床に膝をついた。子どもの頃から変わらない、岩ちゃんの丸いおでこをかきあげながら、自分でも呆れるくらいに甘い声が勝手に出る。
「岩ちゃんがちゃんと寝たのを見届けたらね」
うふふー、と鼻息で笑う岩ちゃんは、白い布団の中でなんだか雪兎のようだ。
「おいかわ」
「なに」
「呼んだだけ」
そう。
床を見た。クリーム色の電気カーペットが敷いてある。その、カスタードの色をした毛足の短い繊維と繊維の隙間に爪を立てて、歯を食いしばった。
「おいかわあ」
「はい」
「んふふ」
「呼んだだけ?」
「うん、呼んだだけ」
岩ちゃんは布団の中でにこにこしている。カーペットの表面から、ぎりぎりぎり、とアクリル繊維の悲鳴が聞こえてきた。荒い息をついて、だめだ、なんかしよう、そうだ、これ点けよう、と思いつき、電気カーペットのスイッチを入れる。尻がほかほかしてきた。
岩ちゃんが静かだ。完全に寝落ちたか。ほかほかから尻を上げて、そうっと顔を伺うと、睫毛が伏せられて、規則的な呼吸になっている。
もっと呼んでくれても全然いいのに。
全部返事をしてあげるよ。
それからしばらく、寝顔を眺めたり、寝転がったり、岩ちゃんの隣に頭を置いてみたりした。
潜りこんだら起こしちゃうよなあ。
抱きしめて一緒に眠るとかしたら、だめだ、それは想像しない。想像してはいけない。勃起したらどうする。いやちょっとしてるけど30度くらいだから角度的にセーフの範囲内だ。やばい、なんだかものすごくそわそわしてきた。
岩ちゃんの顔を、何度も覗きこむ。よく、眠っている。とてもぐっすり。
頬を撫でながら顎までが顕になるように、少しだけ布団と毛布を下におしやって、顔に顔を近付けた。少し傾けるとうまいこと鼻同士がすれ違って、ぴたりとパズルピースが嵌るように唇が重なるのを知っている。
ああ。
いや。
寝込みを襲ってばかりじゃあ。
と、岩ちゃんのお口が、むにゃむにゃした。ああ、呼ばれている。吸い込まれるように、くっつけてしまった。やわらかい。くすぐったい。いい匂いがする。鼻の奥がツンとしてきなくさい。
「は、はあ、」
慌てて唇を離した。鼻の下に手を持っていって、拭う。だいじょうぶだった。鼻血出てない。でも下半身ちょっとやばい90度いったかも。
ちらと窓際に置いたスニーカーに視線を走らせる。そろそろ、帰った方がいいか。
岩ちゃん。
最後に一目と覗きこむ。
…ほっぺた、おもちみたいだね。
手を伸ばす。
触れる。
溶ける。
この人がどうしようもないくらいに大事だ。
唇を、唇で覆う。かわいい形をしているのを確かめる。大事なんだ、岩ちゃん。
「う、うう」
弾かれたように、離れる。何やってんだ俺は!!いっかい、一回だけでしょ、なんで、毎度一回で終われないかなあ、寝てる間にっていうだけでもう相当にアウトだよ!!ばか!!俺のばか!!!
「みゅう」
岩ちゃんが鳴いた。
俺が触ったところの唇をむにむにして、目を閉じたまま微笑む。
溶けた脳味噌が耳から出てくる音がした。
震える俺の手は何度でも、岩ちゃんへ向かって伸びた。
おしまい

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