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デスクにノートパソコンを置くや画面を開ける。すればオートで電源が入る仕様だ。パスを右手で入力しながら左手でジャケットの外ポケットからコーヒー缶を取り出す。手頃な黒い筒だから、ヒル魔が持っているとなんとなく劇物のたぐいに一瞬錯覚で見えてしまい、これを片手で投げたり受け止めたりの手遊びをしながらキャンパスを闊歩していると、妙に視線を集めるのだ。
片手で器用にプルタブを起こす。一口啜ったところで更衣室のドアが開き、番場がミーティングルーム内に姿を現した。
ヒル魔一人の室内を一瞥し、朝メニューを終えてシャワーも浴びたすっきりの番場は、ヒル魔から3つほど席を開けて椅子にかけた。足元に下ろしたスポーツバッグからコンビニのビニール袋を取り出す。そこから更に缶飲料を取り出す。ブラックコーヒー。ヒル魔の手元に置かれているのと同一ながら、番場の手中にあるととても小さく見える。
微かな音を立てて部室入口のドアノブが回った。赤羽が姿を現す。しょったギター、どこぞのバンドで弾いているらしいが、部活にはその影響を全く見せない。
「おはよう」
「おはよう」
「ケッ」
赤羽は番場の向かいに腰かけた。
フェイクでないレザーのジャケットから取り出したのはブラックの缶コーヒーだ。
がん、と金属が蹴られる音を響かせて、先ほど赤羽がくぐったばかりの出入口が足で叩き開けられる。阿含。
手にした黒い缶を大きく呷ってから、肩と顎で挟んだ携帯にがなりたてる。
「だぁら好きにすればっつってんじゃん、もうかけてくんな」
通話終了ボタンを潰す。
「まじだりー」
片足を手近なパイプ椅子に引っ掛けて引き寄せ、音を立てて座り、缶をこれまたガン!と音立ててデスクに置いて顔を上げて、ぐるりと周囲を見渡して、「なんだよ」と言いかけたが口を噤む。
デスク上には同じメーカー同デザインの180ml缶がズラリだ。
こんこん、軽やかで爽やかで可愛らしいノックの音が響く。
「失礼します、ヒル魔くんこれ…あ、みなさん、おはようございます」
実在する女神、姉崎の登場である。
綺麗で可愛くて知識豊富で空気を読む事と言葉を選ぶ事に長け、家事全般を人並み以上にこなし、礼の尽くし方にもそつがなく、かつ公平で面倒見がよいので同性からの人望もただならなく厚いという奇跡の人だ。
その姉崎がくるりと細い脚で天使の羽のような白いスカートを翻し、
「ヒル魔くんこれ統計終わったやつと、こっちDVD編集済んでるから。でこれが学長の捺印済み書類、市に提出がこっちで都がこっち、国がこれね」
無言で受け取るヒル魔。
なんでこんな女性がこの悪魔に使われているのか、誰も口にはしないが、なんか、なんだか、憤懣やる方ない。
姉崎は仕事をヒル魔へ投げ終えて、部室内をくると見回した。
あら、と口元に片手を添える。
おそろいなのね。
各々の前に打ち立てられている缶飲料。同メーカー同デザイン、無糖のブラックコーヒー。
気が合うのね。
とでもこのメンバーの前で言い放てば、室内の気温が急降下することは目に見えている。
姉崎は一度は開きかけた口を閉じた。
黒い缶は4つ、同方向から同質量の光を受けて、ぎらりと反射している。
終